COLUMNコラム
研修費・講習費の返還請求-「すぐ辞めるなら金返せ」は通る?
エステ法務 2026.02.04.
~目次~
美容室やエステティックサロン、ネイルサロンなどの経営において、人材育成は生命線です。
スタッフの技術向上のために、お店の費用で高額な外部講習やスクールに通わせることも少なくないでしょう。
「これからお店の中核として頑張ってほしい」という期待を込めて投資をしたはずが、資格を取った直後や、研修が終わって半年も経たないうちに「退職します」と言われてしまったらどうでしょうか。
経営者としては、「裏切られた」という感情と共に、「かかった費用だけでも返してほしい」と考えるのが自然です。
しかし、法律の壁は予想以上に厚く、「辞めるなら研修費を払え」という請求は、一歩間違えると労働基準法違反となり、逆にお店側が訴えられるリスクさえあります。
では、サロン経営者は泣き寝入りするしかないのでしょうか?
実は、厳格な要件をクリアし、適切な契約形態をとっていれば、費用の返還を求めることができるケースも存在します。
本コラムでは、労働問題に詳しい弁護士が、研修費返還にまつわる法律の原則と例外、そしてサロンがとるべき具体的な防衛策について、詳しく解説します。

「辞めるなら損害賠償」は原則として違法(労働基準法第16条)
まず、結論から申し上げますと、雇用契約書や誓約書に「入社後1年以内に退職した場合は、会社が負担した研修費〇〇万円を全額返還すること」といった条項を入れていたとしても、その約束は【法律上無効】となる可能性が極めて高いです。
これは、労働基準法第16条が「賠償予定の禁止」を定めているからです。
■労働基準法第16条
「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。」
この法律が存在する理由は、労働者の「辞める自由」を守るためです。
もし、「辞めたら高額な違約金を払え」という契約が有効だとしたら、労働者は借金のような重圧を感じ、不当な労働環境であっても辞めることができなくなってしまいます。
これを「身分的拘束」と呼びますが、法律はこれを固く禁じています。
したがって、たとえスタッフ本人が「すぐに辞めたら返します」と同意してハンコを押していたとしても、その合意自体が法的に無効と判断されるのが原則です。
サロン経営者様にとっては納得がいかない部分かと思いますが、まずはこの「原則NG」という厳しい現状を理解する必要があります。

返還請求ができる「例外」とは?-業務命令か、自己啓発か
では、どのような場合であっても、会社が出したお金は1円も返ってこないのでしょうか?
実は、裁判例において返還請求が認められたケースもあります。
その分かれ目となるのが、【その研修が「業務命令」だったのか、「本人の希望による自由な学習」だったのか】という点です。
■業務命令としての研修(会社負担が原則)
会社が「この技術が必要だから行ってきなさい」と指示した場合、または、新人研修のように全員参加が義務付けられているような場合、これは業務の一環とみなされます。
業務である以上、その費用は会社が負担すべき経費(コスト)であり、従業員に請求することはできません。また、研修を受けている時間も「労働時間」となり、給与が発生します。
このパターンの場合、どれだけ高額な費用がかかっていても、退職時に返還を求めることは【不可能】です。
■自由意思による研修(返還の余地あり)
一方で、業務遂行にどうしても不可欠とまでは言えないが、本人が「将来のためにこの資格を取りたい」「もっとスキルアップしたい」と希望し、会社がその費用を援助した場合、事情が変わってきます。
この場合、会社が従業員に対して「本来あなたが負担すべき学費を、会社が代わりに立て替えて貸してあげますよ」という形をとることができれば、返還請求が認められる可能性があります。
ここでのポイントは、そのスキルや資格が【会社を辞めた後も、本人のキャリアとして汎用性があるか】という点です。
例えば、そのサロン独自の特殊なマニュアル研修ではなく、国家資格や、どの店に行っても通用する一般的な技術検定などであれば、「本人の利益」になる度合いが高いため、例外的に返還請求のスキームに乗せやすくなります。


適法に返還してもらうためのスキーム-「金銭消費貸借契約」の活用
例外的に返還請求を可能にするためには、単に「辞めたら返せ」と約束させるのではなく、法的に整理された【金銭消費貸借契約(貸付制度)】を活用する必要があります。
これは、以下のような仕組みです。
(1) 研修費・学費として、会社が従業員に資金を「貸し付ける」契約を結ぶ。
(2) その際、借用書(金銭消費貸借契約書)を作成する。
(3) 特約として、「卒業後、〇年間勤務してくれたら、この貸付金の返済を免除する」という条項(返還免除特約)を設ける。
このスキームであれば、それは「退職に対する違約金」ではなく、「借りたお金の返還(ただし、長く勤めれば返さなくていいというボーナス付き)」という解釈が可能になり、労働基準法第16条違反を回避できる可能性が高まります。
ただし、このスキームが裁判で認められるためには、以下の厳しい条件(判断要素)をクリアしなければなりません。
■判断要素のチェックリスト
・【完全な任意性】
従業員がその研修を受けるかどうかを自由に選べたか? 断っても不利益な扱いはなかったか?
・【業務との関連性】
業務命令ではなく、あくまで本人のスキルアップ支援であるといえるか?
・【分離された契約】
雇用契約とは別に、明確な貸借契約が結ばれているか?
・【金額と期間の妥当性】
返還額が高額すぎないか? 免除までの期間(お礼奉公期間)が長すぎないか?(一般的には費用にもよりますが、数年程度が限度とされることが多いです)
これらが曖昧なまま、「実質的には強制参加の研修」に対してこの契約を結ばせても、脱法行為とみなされ無効になりますので注意が必要です。


給与からの「天引き」は絶対NG!-労働基準法第24条の壁
仮に、上記の「貸付制度」のスキームを適法に導入していたとしても、いざスタッフが早期退職する際に絶対にやってはいけないことがあります。
それは、【最後の給料から、返還金を勝手に天引きすること】です。
労働基準法第24条には「賃金全額払いの原則」があります。
給料は、税金や社会保険料などを除き、全額を支払わなければなりません。
たとえ会社が従業員に対して貸付金の返還請求権を持っていたとしても、従業員の同意なく一方的に給料と相殺することは違法です。
「どうせ辞めるから回収できなくなる」と焦って天引きをしてしまうと、逆に未払い賃金として労働基準監督署に駆け込まれ、会社側が悪者になってしまいます。
回収するためには、あくまで給料は全額支払った上で、別途、本人から現金で振り込んでもらうか、あるいは「自由な意思に基づく明確な同意書」を取得して相殺処理をする必要があります。
この「同意」も、単に口頭で言っただけでは認められにくいため、慎重な手続きが必要です。

トラブルを防ぐために-就業規則と契約書の整備ポイント
サロン経営において、スタッフの育成は投資であり、リスクでもあります。感情的なトラブルを避け、会社を守るためには、事前の準備がすべてです。
【就業規則への記載】
まず、就業規則に「研修制度」や「資格取得支援制度」に関する規定を設けましょう。
そこで、業務として行う研修(全額会社負担・返還なし)と、自己啓発支援としての研修(貸付制度適用・要件により返還あり)を明確に区分しておくことが重要です。
【契約書の作成】
対象となる研修やスクールが決まったら、受講前に個別の契約書(金銭消費貸借契約書および免除特約付き)を取り交わします。
ここでは、「金額」「返還免除となる勤務期間」「中途退職した場合の返還方法」を具体的に明記し、本人に十分説明した上で署名をもらってください。「なんとなくサインさせた」では、後で効力を否定されます。
【日々のコミュニケーション】
最後に、法律以前の問題として、スタッフとのコミュニケーションが重要です。
「なぜ会社がこのお金を出すのか」「あなたにどうなってほしいのか」という期待値を共有し、信頼関係を築くことこそが、最も効果的な離職防止策となります。
「うちは大丈夫だろうか?」
「今の契約書で法的に問題ないか?」
と不安に思われた経営者様は、トラブルが起きる前に、一度専門家によるリーガルチェックを受けることを強くお勧めします。
適法な制度設計を行うことは、スタッフにとっても「会社が公正なルールで自分を支援してくれている」という安心感につながり、結果として定着率の向上にも寄与するはずです。


